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優絆Yuuukiのネット調査隊ブログ

優絆がネットで調べたことを提供します。

全面的に母親に支援を行ってもらいました。

優絆です、86年は企業の大卒女性の募集はどこも若干名。
就職した先輩に話を聞いて回ったけれど、みな優秀過ぎてこの人にはなれないと、逆に女性が少なそうな会社を探して食品メーカーに入社しました。
同期で女性は約1割で今も働いているのは私だけです。
住居に関わる勉強をし ていたので、ゼネコンなどに入社する人が多かった。
でも私は暮らし全般に関わる広い目線の仕事をしたいと考えてエネルギー会社を選びました。
89年は先輩方から電話がかかり、リクルーターがついた時代。
いろいろな仕事ができると思い信託銀行と保険会社を受け、最初に内定をもらった生保に入社しました。
総合職の女性を巡る雰囲気はどうでしたか。
銀行窓口の女性はみな制服なのに私だけ私服。
目立ちました。
一般職から総合職に転換する制度を活用した女性が4、5人いて、その1人がいる部署に配属されました。
配属も研修も男女平等でしたが、電話に出ると誰か男性を出してくれは当たり前。
一般職入社の優秀な女性たちもいるので、同期から女性からも敵とみられるよと 。
それで、お茶くみや机拭きもやりました。
支社で総合職の女性は私だけで、先輩たちが一般職の人向けの制服のお古を集めてくれてこれを着なさいと。
自分が溶け込むためにと、配慮してくださいました。
キャリアを積むなかで一番大変だった経験は?
35歳で妊娠し、切迫流産と診断されて出社できなくなった。
1年間の育休の前倒しとして出産の半年ほど前から休み、産後6カ月で復職しました。
当時、夫は単身赴任。

時短勤務制度がない時代で実家近くに住み、保育園を確保。
全面的に母親に支援を行ってもらいました。